運動会や紅白歌合戦で使われる旗の色。
日本では、二手に分かれて勝負をする場合に赤と白に分かれることが多くあります。
また、お祝い事の場で紅白の幕が張られているのを見ることがありますね。
このように、私たちが日常で目にする紅白の旗ですが、その由来は源平合戦と言われています。
この記事では、源平合戦と紅白の旗について見ていきます。
源氏、平氏の旗の色や旗印
まずは、源氏、平氏の旗の色と旗印について見ていきましょう。
源氏の旗は白い布に、日の丸のような赤い丸を描いた旗でした。
一方の平氏の旗は、赤い布に日の丸のような金色の丸を描いた旗。
どちらも布に丸い模様を描いた旗だったようです。
多分こんな感じだったんじゃないかなあと思います笑
wordで作ったので金色が表現できていません笑
また、源平の旗で検索すると別の模様の旗もヒットしました。
源氏は白地の旗に青色で源氏の家紋。
平氏は白地の旗の上側が赤色で、その部分に白色の平氏の家紋というデザインでした。
家紋は家のしるしですから、こっちのデザインの旗も用いられていたのかもしれません。
他にも検索すると色々出てくるので、気になった方はぜひ調べてみてください。
源氏の旗は日の丸の由来?
先ほど、源氏の旗は白い布に赤い丸と書きましたが、日本の国旗の日の丸にそっくのデザインですよね。
実は、日の丸は源氏の旗が由来ではないかと言われているのです。
源平合戦で勝利した源氏は、源頼朝が将軍となって鎌倉幕府を開きます。
鎌倉幕府のあとも、室町、江戸と幕府は続いていきますが、日本で最初の幕府は源氏がつくった鎌倉幕府。
将軍たちは日本統一のしるしとして、源氏の旗を掲げ、源氏の子孫であることを名乗ったそうです。
これが日本の国旗、「日の丸」の由来ではないかと言われています。
もしも平氏が勝って幕府を開いていれば赤い布に金色の丸が国旗になっていたかもしれませんね。
源平合戦で紅白の旗を使用した理由
紅白の旗と現在の関係はわかりました。
次に、源氏と平氏が紅白の旗を使用した理由を見ていきましょう。
平氏の旗の由来
錦の御旗を由来とする説
平氏が使っていた赤い布に金色の丸の旗は、錦の御旗(にしきのみはた)を参考にしたものだという考えがあります。
これは官軍を表したもので、朝廷の敵を倒す際に天皇からもらっていました。
つまり天皇から認められたものということですね。
ただ、個人的にはこれは違うんじゃないかなあと思います。
というのも、錦の御旗は後鳥羽上皇が与えたものが初めてといわれているからです。
後鳥羽上皇といえば、安徳天皇が京都から離れた時に天皇となり、平家滅亡後もそのまま天皇として名前を残した人です。
平氏滅亡後に出てくる旗が平氏のルーツになるのはちょっと変ですよね?
もちろん錦の御旗や、そっくりなものがもっと前からあった可能性はありますからなんとも言えません。
ただ、後鳥羽上皇が与えたものが最初なら、この説は違うかなあと思います。
あくまでもド素人の意見です…。
天照大神を由来とする説
他の説には、天照大神(あまてらすおおみかみ)を表す赤から来ているというものがあります。
天照大神は女神とされているんですが、女性を表すのが赤なんですね。
そして、天照大神を祖先にもつのが天皇家。
その天皇と深い関係があるんですよーという意味で赤い旗にしたという説です。
これなら錦の御旗のように時間のずれがないからいいかなあと思います。
いずれにせよ、平氏は天皇と関係があるぜ!ってことを強調したかったようですね。
また、赤は貴族が好むもので、平氏はそもそも貴族だったからとかの説もあるようです。
源氏の旗の由来
一方の源氏の白い旗の由来はなんでしょうか。
源氏の白の由来は、「清らかさ」を表したものと言われています。
彼らは貴族ではなく武士で、あでやかさや豪華さよりも清らかさを重視したんですね。
天皇家とのつながりを前面に出した平氏とは対照的ですね。
他の説については見つけられなかったんですが、見つけたら書いておきます。
最後に
今回は、源平合戦の旗の色と、現在とのかかわりについて解説しました。
普段何気なくみている紅白の旗ですが、そのルーツは800年以上前の源平合戦にあったんですね。
他にも源平合戦に関する記事を書いていますので、気になったら読んでみてください!
お読みいただきありがとうございました!
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